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第6話 私は……

Author: Masa&G
last update publish date: 2026-03-03 19:08:05

(もう朝…あまり寝れなかったな…)

目張りされた窓の隙間から、細い陽光がこぼれていた。埃が光を帯びて舞い、静けさの中にかすかな温もりが満ちていく。

ザァァ……ザァァ……

耳を澄ますと、遠くで波の音。

(海…見たいな…)

やがて、奥の台所から小気味いい音が響く。

カチャ…カチャカチャ…タンタンタンタン…カポン…ジャァァー

(コビーさん……かな……)

「おはようございます。」

「おはよう、王女さん。眠れた?」

「はい。少しだけ……」

「こんな場所だからね……ごめんね。」

「いえ……」

少し湿った空気に、焼けた油の匂いが混じる。奥の椅子に腰を下ろすガットの姿が見えた。腕を組み、どこか遠くを見つめている。

「ガットさん……おはようございます。」

「ん? ああ。」

短い言葉。けれど、その声には疲れと微かな優しさが混じっていた。

「王女さん。朝ご飯、目玉焼きにパン、野菜、あと……ミルクしかないけど大丈夫かな?」

「あ、はい。ありがとうございます。」

「うん。じゃあテーブルの椅子に座ってて。」

「はい。」

セリーナは椅子に座った。木の軋む音が、妙に耳に残った。脇ではガットが目を閉じ、呼吸を整えている。

「はい。王女さんから。」

白い皿に目玉焼きとパン、サラダ。カップからは湯気が立ちのぼっている。

「あとこれ。」

小皿が二つ。中身は緑と黄色。

「これは僕オリジナルのソース。緑が野菜ブレンドので、黄色いのはスパイスが効いてる。黄色いのは刺激が強いから苦手だったらつけなくて大丈夫だから。」

セリーナが小声でつぶやいた。

「あ……好きなほうです……」

「ハハッ、そうなんだ? でも気を付けてよ? 馬もびっくりするぐらいだから。」

すかさずガットがぼそりと呟く。

「朝から馬もびっくりスパイス出すとはね……」

すぐにコビーが言い返した。

「朝だからいいんじゃないか。目が覚めるよ?」

ふっと、セリーナの唇が緩む。恐怖と緊張の夜を越えたその笑みは、ようやく人の温度を取り戻したようだった。

「いただきます。」

「うん。食べて食べて。」

食卓に流れる時間は、思いのほか穏やかだった。皿の上の卵が陽の光を反射し、窓の隙間から射す光がテーブルを照らす。

「ごちそうさまでした。」

「おいしかったです。ソースも。全部。」

「ふふっ。ありがとう。」

その一言に、コビーの表情がわずかに和らぐ。ガットは何も言わず、ただ背もたれに深く沈み込んだ。

「あ、あの……ガットさん……」

「ん? どうした?」

「外に……出てもいいですか?」

「ふぅ……」

ガットは大きく息を吐き、髭をなでた。

「だめだ……お前は人質だ。何を勝手なこと言ってんだ。」

「海が……見たくて……波の音がずっと聞こえるから。」

「ガットが見張ってればいいじゃない? 今日はすごく天気いいし。」

「お前なぁ……俺たちは誘拐犯だぞ?」

「うん。だから誰もいないこの場所選んだんじゃないか。外に出ても誰もいないよ。」

セリーナの声には恐れよりも、静かな願いがあった。その表情を見たガットが、面倒くさそうに頭をかいた。

「……ったく……わーったよ。」

ガットは立ち上がると、マントを肩にかけた。

「ほら、いくぞ。」

セリーナは振り返り、コビーへ微笑む。

「コビーさんありがとう。」

「いいよいいよ。外の空気、吸ってきな。昼飯は用意しとくから。」

「ほら。」

ガットが無言でマントを差し出す。

「?」

「海沿いの外はまだ寒いからな。」

「ありがとうございます。」

セリーナはマントを羽織り、扉を開けた。光が一気に差し込み、頬に暖かさが当たる。思わず手をかざして目を細めた。

大きく息を吸い、そして吐く。

海の方へ歩く二人。セリーナが前を、ガットが後ろを。

ザァァ……ザァァ……

波の音が二人の足音をかき消していく。

(きれい……風が気持ちいい……)

(嫌なこと……全部洗い流してくれそう……)

潮の香りが胸の奥に染みていく。

「ここはこの大陸の一番最西端だ。」

「こんなきれいな場所があったなんて……」

短い会話のあと、静寂が戻る。風の音だけが、言葉の代わりのように吹き抜けていた。

「ガットさん……」

「ん?」

「身代金……何に使うんですか?」

「……お前は知らなくていい。」

セリーナは一歩だけ、足を止めた。海を見つめたまま、声を落とす。

「……昨日の夜……そのお金さえあれば助かるんだって……」

「聞いてたのか?」

セリーナはうなずく。

「誰かを……助けるため?」

「……。」

「それなら……こんなことはやめて、私がお父様にお願いしてみます……そしたら……」

セリーナはマントの端を指でつまみ、力のない息をひとつ吐いた。

言い終わる前に、ガットが声を荒げた。

「金をくれるってのか?見ず知らずの……どこの馬の骨かわからねぇやつに!」

波音がその怒声をのみ込む。

「王都の金を……配ってくれるって言うのか!?」

「私はガットさんとコビーさんを知りました。だから……理由を教えてもらえれば……」

「あまいな……王女さん。」

拳を握りしめる音が、風に混じって響いた。

「あまい……?」

「ああ……あんたはあまちゃんだよ。」

「……。」

「私が言えば王は動く。そう思ってることがあまいって言ってんだ。」

(違う……私は……)

「俺はな……何度も何度も助けてくれって頼みに行った……だがな、全部門前払いだ……」

ザァァ……。

「王の耳になんざ届きゃしねぇんだよ……門の前で追い返されて、名前すら聞いちゃくれねぇ。」

「ぬくい場所で何一つ不自由のねぇ暮らししてる連中に、この苦しみがわかるかよ……」

「俺たちだって生きてんだ!同じ人間なんだ……」

「それを……身分だか血筋だかしらねえがそんなもんで差別しやがる。」

「お前にその差別をなくすことができるのか?」

(私は……)

「できねぇよ……お前じゃ……」

「自分は王族、価値ある人間だって思ってるやつにはな……」

(私は……思ってない……私に……価値なんてないのに……)

セリーナの肩が震える。声を押し殺すように、唇を噛んだ。

「なんの苦労もなく……笑いながら……俺から見たら……お前も同じなんだよ。」

(もう……言わないで……お願いだから……)

セリーナの瞳から、一筋の涙が零れた。陽光がそれを照らし、海のきらめきと溶け合う。

「本当に価値ある人間ってのはコビーみたいなやつのことを言うんだ。」

「料理で人を幸せにしたい……笑顔にしたいって。」

「それを潰したのはお前らだ……。」

「金さえあれば……助けられる命もあった……」

「だから……俺たちはこの方法を選んだ……」

「……。」

セリーナは泣いていた。涙の意味もわからぬまま、ただ溢れていた。

並んだ影が、波に千切れては結ばれる。

「俺は戻る……」

ザァァ……ザァァ……

風が、彼の言葉の残滓をさらっていった。

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